今作は2015年4月に開催された同人音楽イベント「M3 2015春」において配布されたCD-R作品、『水面飛行』のネットリリース版です。
前作『ギガンティア』[PSTnet-024]ではシューゲイザーやアシッドフォークを中心としたギターポップなサウンドとなっていましたが、今作ではダブポップやテクノポップへと大きく方向転換したサウンドとなっている。
リミキサーにyellowlabel(SoundCloud、Twitter)とDubb Parade(SoundCloud、Twitter)が参加。
また前作と同様、ジャケットはSiryu(sironiaka、Twitter)、マスタリングはnemo asakura(heaven's show case、SoundCloud、Twitter)が担当。
今回のネットリリースについては、M3版のライナーノーツを担当した古川氏運営の音楽レビューサイト『sittingbythechurchwithdan』との共同リリースとなっており、迷われレコードにはそのM3版のライナーノーツを掲載し、『sittingbythechurchwithdan』のリリースページには鳴子ナセバ本人よる初のコメントと、作詞作曲編曲を担当した山岡迷子のセルフライナーノーツを掲載しています。どちらもチェックしてみてください。
ライナーノーツ
山岡迷子というアーティストにとっての「Blue Monday」・・・彼が敬愛するNew Orderになぞらえて言うならば、この鳴子ナセバの2ndシングル「水面飛行」は彼にとってはそういった位置付けの作品である。
2014 年の夏以降、山岡は疲弊しきっていた。彼が主宰するネットレーベル、すなわちデモ音源の募集要項に「ジャンルはロック、ジャズ、ヒップホップ、ノイズ、民族音楽、テクノ、演歌、歌謡曲、ただの生活音、犬の鳴き声、無音、嫌がらせ、なんでも大丈夫」というアナーキーなスタンスを掲げることで、音楽を制作する ことや演奏することをそれこそまったくの素人のレベルにまで「解放」せんとすると同時に、彼が影響を受けたニューウェーブ、Durutti ColumnやFlying Lizards といったアーティストたちから継承した自身のアイデンティティ、音楽は優れたアイデアと想いさえあれば誰にだって出来るものである、という インディペンデント/DIYアティチュードをも無言のうちに表明する「迷われレコード」の運営を軌道に乗せるために、日々彼のもとへと日本中から送られてくる無名アーティストたちの音源をチェックする一方で、所属アーティストたちのフィジカルCD のリリースをネットリリースと並行して行い、各地のショップへの営業活動に奔走しながらも、先日発表になってネットレーベル界隈では話題を呼んだULTRA-VIBE,INC との業務提携へと漕ぎ着けて迷われレコードのCDの全国流通するにまで至った、そのレーベル・オーナーとしての業務に忙殺されてしまっていたことで自身の音楽活動が完全に停滞してしまい、彼の内面ではレーベル・オーナーとしての自意識と、いちアーティストとしての表現欲求や自我との間にいつしか大きな溝が産まれてしまっていたのであろう。恐らくは、彼の本心や真意をもう誰にも語ることが出来なくなってしまっていたくらいに。
「鳴子ナセバ」という、この非常に匿名性の強い(インターネット上のどこにも本人に関わる情報が出てこない!)女性アーティストは、そのような状況下において山岡が自身の音楽活動を継続するために用意した別のペルソナ、もしくは「ライナスの毛布」であった。鳴子ナセバの存在そのものであり、山岡が彼女に提供した楽曲たちはすべて、そこに「山岡迷子」自身の姿が投影されたものだったのである。少なくとも、2014年の8月にネットレーベルPositive Recordsからフリー配信された鳴子ナセバの1stシングル「ギガンティア」の時点ではそうだった。そのため、彼に近しい人間からは「山岡迷子の人間性が前面に出すぎていて安心して聴いていられない」という、いささか厳しい評価を下されたりもしたようだが、とはいえ、「ギガンティア」が鳴子ナセバの純粋無垢な歌声とシューゲイズ/インディー・ポップ・サウンドの平衡が保たれた傑作であることは間違いないし、この「ギガンティア」で一度自分自身の内面(それは、叶わなかった恋の前で立ちすくんで俯いてしまっている山岡の、痛々しいまでに切実な心情であった)をすべて赤裸々に曝け出し、音楽的にも彼の創作活動のひとつの頂点ともいえるほどの充足感へと辿り着いてしまったがために、山岡が自身のソロでありほむらんず、kangaroo girlsでの活動を(おそらくは意識的に)ストップさせたのは当然のことといえば当然のことであった。「ギガンティア」において山岡は、あくまでもプロ デューサーという立場であったとはいえ、彼そのものをいわば「出し切った」、そのことはすなわちアーティスト山岡迷子の紡いできた物語が完結してし
まったことを意味すると言っていいほどのものであったのだから。(注・山岡迷子名義でのフィジカルCD「ユウタイサンセット」には「ギガンティア」以降に録音された唯一の新曲が収録されてはいるが、これはアルバム収録曲がすべて既発曲となってしまうことを考慮したことによるものであった)
そして2015年の2月のこと、今年の春のM3で鳴子ナセバの2ndシングルをリリースする旨を山岡から聞かされたとき、レーベル・オーナーとしての最近の活動の多忙ぶりから、彼のなかにまたなにか整理し切れない性質の感情が渦巻いてしまったが故に、その胸中を吐露する場所として再度「鳴子ナセバ」を選んだのだなと、僕はそう推測した。そして、彼から手渡されたマスタリング前の"水面飛行"と"ハロー"の2曲が収められたCD-Rを、「ギガンティア」における鮮烈なギターサウンドの再来を期待して聴いて、僕は自室のPCの前で心底驚かされることとなる。ダブ的サウンドが酩酊感・陶酔感を緩やかに漂わせながら も、現行のシティ・ポップ的サウンドとのリンクまでをも視野に入れた意欲作Trk-1"水面飛行"、そこから一転して現在世界中を席巻しているEDMサウ ンドを横目に、セカンド・サマー・オブ・ラブ期のレイヴ・サウンドにたったひとりで回帰してしまったかのようなTrk-2"ハロー"。・・・「ギガンティ ア」のプロダクションの面影など、まるでここにはないではないか!それでもこの2曲に惹きつけられるものは確かにあり、彼から受け取ったCD-Rを何度も何度も繰り返し聴いているうちに達した結論こそが、僕が当稿の冒頭に書いた、これは山岡迷子というアーティストにとっての「Blue Monday」である、というものである。
70年代後半にRAWパンク・バンドWARZAWAを その前身とし、フロントマンのイアン・カーティスのカリスマ性と、「パンク以降」を見据えたかのようなダークなサウンドで当時の若者たちから絶大な支持を 得たマンチェスターのJoy Divisionが、そのイアンの自殺というショッキングな事件によって80年にその幕を閉じてから、残されたメンバーたちはリタイアすることよりも前に進むことを選択して新たにバンドを結成、そのデビュー・ライブをバンド名すらもない状態で行ったのがイアンの死からたった2 ヵ月後のこと。のちにその名のないバンドはNew Order と名乗るようになるが、当時の彼らは当たり前のことではあるがイアン・カーティスという巨大な才能を失ってしまったことへの悲嘆に支配されきっていて、「New Order」というネーミング自体が彼らにとっては皮肉以外のなにものでもない、もしくは彼らの自嘲的な態度の現れではないかとすら思えるほどであった。実際に、彼らのデビュー・シングル曲"Ceremony"は後期Joy Divisionのレパートリーであったし、81年の1stアルバム『Movement』に至ってはまるでJoy Divisionの贋作のような酷い代物であった。しかし、バンドの進む道に暗い影を落とすイアンの「不在」から逃れるようにして、 New Orderはエレクトロ
ニクス、シンセサイザー、シーケンサーを大胆に導入することでたどたどしいながらもダンス・ミュージックに接近し、 Joy DivisionのコピーではないNew Order独自のサウンドを模索した結果として、ロックとダンスの奇跡的な邂逅、インディーダンスの記念碑的名曲"Blue Monday"を世に放つことになるのが83年のこと。イアンの自殺を知らされた朝のことが歌われたというこの楽曲は全世界のリスナー、そしてダンスフロアから熱 狂を持って迎え入れられることになり、その後バンドは80年代にもっとも影響力を持ったアーティストのひとつに数えられるまでに至るのだが、それはま た別の話。僕が「水面飛行」を山岡迷子にとっての「Blue Monday」だとするのは、"Blue Monday"がNew Orderにとってイアン・カーティスとの決別宣言であったように、鳴子ナセバの"水面飛行"は山岡迷子にとって、1stシングル「ギガンティア」の3 曲 で歌われていた叶わなかった恋、結ばれなかった相手との「訣別」であり、「鳴子ナセバ」というアーティストを自身の隠れ蓑にして自分の想いを歌にするといった制作活動からはもう脱却するということへの、山岡自身の決意が込められたものであるからだ。そのことは、単語のチョイスにこそ工学的虚飾を纏ってい るが、「僕は 君に 頼る
のは もうやめた 僕は 君に 頼るのはもうやめるよ」という歌詞を読めば明らかなことではないか。
Trk-2の"ハロー"に関しても同様のことが言える。これは、New Orderの所属したFactory Records総帥トニー・ウィルソンに憧れてネットレーベルを志したという山岡の、ネットレーベル迷われレコードのオーナーとしてでも、「鳴子ナセバ」 というアーティストにプロデューサーという立場から歌わせたものでもない、いち個人としての素顔の「山岡迷子」によるリスナーへの「ハロー」なのだ。 この「ハロー」という楽句をして、そのまま"Blue Monday"の冒頭の一節"How Does It Feel?"のパラフレーズである・・・とするのはさすがに無理があるだろうか。しかし山岡はこの曲に関して、「結局はNew Orderが好きなんだと思います」と僕にメールで語ってくれたことがあったのだが、彼がその短いセンテンスに込めたであろう真意は、要するにそういうことではなかったのではないか。少なくとも、僕はそのように理解している。
しかし、そんな山岡の想いをよそに、本作「水面飛行」において当の鳴子ナセバ本人の歌唱が、一点の曇りもないピュアネスを「ギガンティア」以上に纏い始めたという点に関しては、プロデューサーである山岡の想定していたラインを遥かに超えたものだったのではないだろうか。前作に引き続きアートワークを手掛けたSiryuは彼女の清廉な歌声に彼自身の感覚質または心象風景を重ね合わせてこの印象的なカヴァーを制作したのであろうし、本作に収録されたyellowlabel、DubbParade という山岡、そして迷われレコードと非常に縁の深い両人によるそれぞれのリミックスにしても、楽曲をビルドアップさせることや再構築することに優先して、いかに彼女の歌であり声質を際立たせるか、ということにその主眼を置いたはずだ。原曲にマスタリングを施したnemo asakuraにしてもそのことは言えるのだが、本作に関わった人間たちがまるで硝子細工を扱うようにして丁寧な仕事振りを発揮しているのは、彼女の歌声が何気なく触れただけで壊れてしまいそうなくらいの繊細さを持ちつつ、それでいて過剰なほどに強い求心力を放っているため、それに呼応したが故のケミストリーであるとすべきものであろう。ここまでの流れを踏まえると、この「水面飛行」が少なくともアーティスト山岡迷子と等号で結ばれた「鳴子ナセバ」としてのラスト・シングルとなる可能性は非常に高いということになるだろうし、次作があるのであればそのときはじめて彼女は匿名性のベールを脱ぎ捨てて、本当の意味でのいちアーティスト鳴子ナセバとして、僕らの前に姿を現すこととなるのだろう。また、本作は間違いなく山岡
迷子にとってのターニング・ポイントとなるはずであり、無軌道なように見えて用意周到な彼のこと、本作の発表後にはアーティスト/レーベル・オーナーとして何らかのビジョンを抱いていることは間違いない。それらを現実に僕らとシェアしてくれる日が訪れるのがいまから僕は楽しみで仕方がない。それほどまでに、この「水面飛行」に込められた山岡迷子の想いというのは深いものであるし、この盤を手に取ったリスナーのひとりひとりにそれが届くことを僕はいま静かに祈るばかりだ。
解説/古川敏彦(sittingbythechurchwithdan)